続・受験期になると必ず思い出す。

今日は昨日の続きから。

さて、中学1年生の内容から勉強をスタートした彼は、何度も何度も壁にぶつかりながらも少しずつ目標に向けて前進していきました。当時、ぼくが勤めていた塾は13時から業務スタートだったのですが、彼はぼくに対して朝9時に塾を開けてくれと言ってきた。まあ、それまでも11時頃にはオープンしていたので、彼の依頼を快諾した。ちなみに就業時間は22時だったが、彼は平気で24時くらいまで居座った笑

それでも、目標をに向けてひた走る彼の姿が嬉しくてでき得る限りをやろうと思っていました。すると、少しずつぼく以外の生徒たちとコミュニケーションを取るようになっていきました。中学校時代の同級生も多く通っていたので、いったん打ち解けるとそこからはとても早かったように思います。

そうして朝から深夜まで彼と過ごす生活が半年ほど続いた頃、彼から思いがけない提案を受けました。

「ぼく、受験をやめて、高卒認定に切り替えようかと思っています。」

高卒認定とは昔でいう大検です。これがあれば、高校を卒業していなくとも、高校卒業程度となり、様々な学校へと進学することができるようなになります。

思いがけない提案に彼の話を聞くと、ちょっとやりたいことが変わりはじめて、四年制大学への進学をしたいとのことでした。しかも、彼は、同級生たちと同じタイミングで国公立大学にいきたいです!とのことだったのです。

さてさて、道のりが一気に険しくなってきました。が、彼がいく!と決めたのなら応援しない訳にはいきません。そして、目指すからにはどうにかしてあげなければ!というぼくの正義感から、その日を境にぼくの指導がスパルタチックになっていった訳なのです。

そんな彼のがんばりもあって次の年の夏には高卒認定試験に合格した。これにより、ようやく彼は大学入試のスタートラインに立ったわけであります。これは、センター試験まで残り約4ヶ月の出来事でした。

そこからは、さらに試練が続きます。当時、塾内で彼と親しい生徒は増えていっていたのですが、その子たちの通う高校は秋田高校、秋田南高校、そして秋田北高校の子たちでした。秋田県内でも有数の進学校であるその子たちと彼は一緒に勉強をするようになります。授業の形態は個別指導だったのですが、自習をする際はよく一緒に勉強していました。

そんなある日、講師の1人が数学の確認テストを自作し、秋田高校、秋田南高校、秋田北高校の生徒たちを対象に実施したのですが、その様子をみていた彼は「ぼくもやります!」と言ってきたのでした。ぼくは一瞬止めようかと思いましたが、彼自身が言ったことなので見守ることにしました。彼としても数ヶ月間の勉強の成果をみんなの前で発揮したいと思ったことでしょう。

ところが、彼以外の子たちは概ね7割〜8割の問題を解くことができたのですが、彼はほとんどの問題を解くことすらできませんでした。そして、その後彼は何も言わずに室内の端にあったパーテーションに囲まれたスペースへと姿を消しました。あまりの落ち込んだ様子にみんな声をかけることができませんでした。ぼくは、彼のところへ行き、この時ばかりは優しい言葉をかけようと思ったのですが、彼はひとりでひたすら数学の問題を解いていました。溢れる涙をこぼしながら独りで、ひたすら問題を解いていたのです。

このときは、ぼくも堪えきれず、彼になんの言葉もかけられず、彼のもとを離れました。

このときの彼の姿は10年経った今でも、はっきりと覚えています。そんな状況にも折れず、ぼくやたくさんの講師陣から日々、叱咤激励を受けながらもなんとか、センター試験までたどり着くことができました。

ぼくらは、センター試験当日、試験会場である秋田大学の校門前で彼の到着を待ちました。

予定より随分と早く到着した彼の表情からは緊張の色がはっきりとみえていました。それでも、これまでの成果を発揮しなければならないので、彼に一言二言かけて送り出しました。そうして、彼の生涯初のセンター試験はあっという間に過ぎ去っていきました。

日曜日の夜、彼が自己採点にやってきました。

不安そうな顔をしていました。そして、自己採点を初めて数十分が経った頃、彼は何も言わずに塾を出ていきました。その後、翌日はいつもの時間になっても彼はやってきませんでした。彼のセンター試験の点数を聞いたのは、数日後のことでした。

彼から聞いた点数をもとに、河合塾のバンザイシステムに点数を打ち込むと、結果はどれも彼やぼくらが望むものではありませんでした。それでも、諦めず最後まで戦い抜いたが、結果として目標を達成することはできませんでした。

また、明日へ続きます、、、。

0コメント

  • 1000 / 1000