最終回・受験期になると必ず思い出す。

今日は公立高校の前期入試。
みんな、がんばれ!

この時期になると必ず思い出す生徒がいます。どこまでも人間らしくて、不器用な、でもみんなから愛される、そんな生徒のお話です。


彼とぼくが再会してから、2年近くになろうとしていた2013年の春。
彼は大学入試の結果を経て、再び外に出なくなってしまっていました。ぼくから何度か連絡したのですが、電話にもでませんでした。それから数日経ってようやく彼と話ができたのですが、彼は「もう勉強はやめます。」と言ってきました。

彼の気持ちを考えたら、ぼくは何も言うことができなくなりました。

「そっか、、、わかった。がんばったな!」と返しました。

でも、ぼくは諦めきれませんでした。彼と話をしながら、きっと彼も同じ気持ちだと感じました。そして、とうとうぼくは我慢しきれず、「もう一回だけ挑戦しないか?」と誘いました。それでも、彼は首を縦には振りませんでした。

それから数日後、彼のお母さんから連絡がありました。そして、彼と彼のお母さんと三者面談をすることとなったのです。面談の中で彼のお母さんが、「この子、本当に毎日楽しそうに塾に通っていました。もう1年だけお願いできませんか?」と言ってくれました。もう、ぼくは涙を堪えることに必死で、「わかりました。」と答えることで精一杯でした。

その日から、彼のラストチャレンジがスタートしました。
昨年とは、意気込みも知識も経験も何もかも違います。あとは、綿密な計画をつくって進めていけば大丈夫だとぼくは確信していました。ところが、そんなに甘くはありませんでした。彼にとって昨年と大きく違うことがあったのです。それは、一緒にがんばる仲間の存在でした。昨年は夜になると、彼と同級生の子たちが塾にやってきて勉強していました。その姿がどれだけ彼を励ましていたのか!ということを知ることとなりました。

どれだけ完璧な計画を立てたとして、その通りに進めることは難しいです。そして、計画に追われ続けることのプレッシャーと、それに沿って進むことができなかったときに感じる悔しさがどんどん彼を蝕んでいきました。さらに辛かったのは、ゴールデンウィークや夏休み期間です。その時期になると、彼の同級生たちは帰省します。その姿が彼の目にどのように映っていたかは、容易に想像がつきました。

こうして、再チャレンジを決めてから、着実に前進できてはいるものの、思うような成果をだすことはできませんでした。

そんな彼の状況を大きく変えたのは、新しい仲間たちの存在でした。それは、塾に通っていた1学年下の生徒たちでした。高校3年生になると多くの子たちが自習にやってきていたので、そこに毎日居座る彼の存在は否が応でも気になります。そうして、顔を合わせる時間が増えていったことで、彼にまた仲間ができました。

主に彼を含めた男3人が高校生の自習スペースの一角を占領し、ほぼ毎日、深夜まで塾に籠る日々が続きました。

そして、秋が深まり冬が近づいた頃、彼のもとに模試の結果が届きました。それまでは少しずつ成果が見られていたのですが、11月の模試の成績が大きく下がりました。確実に力はつけているし、普段の問題の解き方もかなり良くなってきていたので、ぼくはあまり気にしていませんでした。しかし、彼の脳裏には昨年のセンター試験の記憶が蘇ってきていました。

どうしてこうまで彼を苦しめるの?どうしてこうまで彼の前を壁が阻もうとするのか?

ぼくは応援することしかできませんでした。でも、ここまでくると応援すること自体が彼を苦しめることにもなってしまっていました。彼は、何度も諦めそうになりました。その度にぼくは厳しい言葉を浴びせました。本来、時期的なことを考えると励ました方がいい時期です。それでも、ぼくは彼に厳しい言葉を浴びせ続けました。時折り彼が、ぼくの言葉に怒って子どもの喧嘩のようになることもありました。それでも、毎朝9時になると塾へやってきて、一緒にお昼ご飯を食べて、深夜まで勉強するという日々を続けました。

しかしながらセンター試験直前まで、模試の結果は思うように伸びませんでした。

迎えたセンター試験当日。不安な彼が、無理矢理につくった笑顔をのぞかせながら昨年と同じ会場へとやってきました。緊張しているということは、誰の目にも明らかでしたが、彼には経験があったので1年前とも様子が違うこともまた、明らかでした。

そして、2日間の日程を終えて自己採点をすると、、、

彼の点数は、自己ベストを大きく上回る結果となりました。そして数日後、彼のセンター試験に対する判定がでました。昨年は全ての大学の判定が「E」判定でした。そこから1年が経ち、彼のもとに届いた結果にはA〜Cの判定が並んでいました。全員が歓喜の声をあげました。

しかしながら、彼は国公立大学を受験するので約1ヶ月後の2次試験に備えなければなりませんでした。そして、お母さんともお話をして私立の併願を受験することも決めていました。ですので、この1ヶ月はまだまだ気が休まりません。さらにいうと彼は2次試験で実施される記述式の問題が非常に苦手でした。センター試験に向けてマーク試験の対策がメインになっていたので、記述で答える問題に慣れていませんでした。

そこから、2次試験対策がスタートしました。

恐らく、彼にとっては非常にハードな期間だったと思います。そして、その間にやってくる私立の併願にも備えなければなりませんでした。

2月の初め、東北学院大学の併願試験を受けました。本人的に手応えはあったけれども不安、、、とのことでした。しかしながら、当時の彼の力を考えれば、問題なく合格できるだろうと思っていました。

そして、結果発表の日。

彼は、見事に合格していました。

完全にいい流れに思えました。これで自信をつけて2次試験に向かえると、ぼくは思っていました。ところが、そんなぼくの考えと彼の気持ちは全く反対のところにありました。

合格発表のあと、彼は塾に来なくなりました。電話をしても様子がおかしいのです。これは何かあると思い、呼び出して話を聞きました。

すると彼は、もう受験を終了したいと言いました。

ぼくには全く意味がわかりませんでした。「え⁉︎なんで⁉︎」思わず聞き返しました。

すると彼は答えました。「もう受験勉強したくないです。私立に合格できたので私立にいきます。」

いま思うと、本当にたくさんのみえない恐怖と彼は戦い続けていたのだと思います。きっと一刻も早く安心したかったのだと思いました。彼は、家族とも話をして、私立に進学してもいいと言ってくれたことも教えてくれました。

その彼の話を聞き、ぼくは感情を抑えることができませんでした。彼に対して、強い言葉をいくつも浴びせました。納得が出来なかったのです。

しかし、彼の気持ちを考えると、とんでもないことを言ったと思います。いま思い返しても、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

それから数日後、彼はぼくのところにやってきました。そして、「2次試験、受けます。」と申し訳なさそうに言ってきたが、ぼくも申し訳なさそうに「うん、がんばろう。」と返しました。

それからもいくつかのイザコザはありながらもなんとか試験まで駆け抜けることができました。

そして、ときは流れて3月になり、各国公立大学の合格発表の日が近づいてきました。

合格発表当日、ぼくは震える手でパソコンのキーボードを叩き、彼の番号を探す、、、

すると、彼の番号が確かにありました。何度も何度も確認しました。誰もいない教室で大声で叫びました、そして、すぐさま彼に電話をしました。

ここで、ぼくは大失態をするのですが、彼の家のパソコンの調子が悪かったらしく、彼はまだ自分の番号を確認していませんでした。ぼくは完全にフライングしてしまいました。

その後、ぼくは彼を知るたくさんの方々や講師陣に大号泣しながら電話をしまくったことを覚えています。




これはもう10年以上前の話なのですが、ぼくにとってかけがえのない3年間となりました。そして、ぼくらは子どもたちに何かを与えているようにみえて、実はたくさんのものを与えてもらっているのだと思うきっかけにもなりました。

きっといまも様々な壁を前に、必死に戦っている方々がこの世界には大勢いると思います。「大丈夫だよ!」なんて簡単には言えませんが、それでもきっと乗り越えられると思います。きっと諦めなければ、チャンスは何度だってやってくるし、躓く度に仲間が増え、あなたの力になってくれるはずです。

3日間に渡り、彼とのお話にお付き合いいただきありがとうございました。すべてのがんばる方々の一助になればと思っています。

では、前期試験のみんな、がんばれ!

Frasco

Frascoは 秋田県大仙市大曲に拠点をおく学習塾です

0コメント

  • 1000 / 1000