小学生のとき、あまり勉強が得意でなかった子が中学生になると勉強が得意になっていくというケースがときどきあります。これは本当に興味深いケースです。


どーも、Frascoそうまです。


小学生の学習範囲の中において、その範囲内の言葉では説明しきれない分野が多々あるのです。そして言葉足らずの知識は、ただの文字の羅列として「記号の暗記」と同じ状態になってしまいます。


小学生にしたってロジカルに考えていく必要はある。むしろ「なんで?」の多い小学生ほどロジカルな説明が必要なのではないだろうか?とぼくは思うのです。


そして、その説明をぼくら大人は噛み砕いて最大限にわかりやすい言葉で説明しなければならないのだと思います。


子どもたちには「勉強って楽しいんだよ!」って言葉じゃなくて、真の楽しさに触れながら楽しさを感じてほしいと思っています。


というわけで、今日も小学生たちと楽しい時間を過ごすことができました。

ではまた。


追伸 昨日生徒のお母さんに美味しい手作りパンを差し入れていただいた。とってもおいしかったです!



「継続は力なり」と言うけれど、力がなければできない継続もある。そして、無限ではない時間の中で何かを成し遂げるとしたら、ただ継続するだけでは時間が足りなくなってしまうかもしれない。


どーも、Frascoそうまです。


ときどき「ぼくは何歳まで2次関数を解けるのだろうか?」と考えてしまう。きっと関数や方程式、証明なんかが解けなくなってしまったら、それはぼくの引退を示す。数学にであって早25年、あと25年くらいは数学と向き合うことができるのだろうか。


25年前、数学に費やす時間は1日の1%未満だったと思う。それが今では、1日の30%ほどの時間を数学が占領している。驚きの事態だ。そして、時間の経過とともに大して好きでもなかった数学がおもしろいと思えるようになったことがおもしろい。いや、滑稽だ。


よく子どもたちに「数学なんて勉強したって将来使わないでしょ!電卓あるし!」なんて言われることがあるのだけれども、ぼくはずーっと数学を使っていて、なんならこの先もしばらく数学なしでは生きていけないので、とても賛同し難い意見なのだ。


そうそう「継続は力なり」って言葉を知っているだろうか?


継続する。つまりその事柄と長く付き合っていくと、案外自分にとって欠かせないものの1つになることもある、、、かもしれない。そのためには「忍耐」とか「我慢」なんていう力が必要になってくるのかもしれないけれど。


ではまた、


某中高一貫校では、中3でありながら数学の学習進度がすでに判別式まで進んでいる。これは受験生を抱えた中学校では絶対にできない進め方だ。高校1年生の夏くらいまでの内容が終わっているのだから。


どーも、Frascoそうまです。


先を見据えた戦略としてはアリなのかもしれないが、数学の「おもしろさ」とういう意味ではどうなのだろうか?とぼくは考えてしまう。数学って、勉強って、考える「おもしろさ」が必要だと思う。キャパオーバーしてしまうと、脳が考えることを拒絶してしまうのだ。


秋田は都会に比べて競争意識が高くない県なのかもしれない。けれども、そこを利点と考えて活かしていくことこそが田舎の特徴になるのではないだろうか?なんてこと考えながらX軸との共有点を求めていた。


明日も朝からがんばろう!

ではまた。


ここ最近の最高気温がもはや春を感じさせます。


どーも、Frascoそうまです。


気候の変化もさる事ながら、世界情勢も大きな変革期を迎えているように感じられます。これまでの当たり前が、少しずつ変化していくのでしょうか?


なんにせよ、穏やかな世界になってくれたらいいなと思います。


さて、今年度もラストスパートの時期に差し掛かってきました。確定申告もチラついてきました。がんばりまーす!


ではまた。

今日はミスター青柳が忙しい時間の合間をぬってFrascoに来てくれた。今年で70歳になると言っていたのだけれども、とても年相応には見えなかった(若すぎる)。


どーも、Frascoそうまです。


待ち合わせ時間は14時過ぎだったので、13時55分にFrascoへ到着した我々をニコニコしながら待っていてくれた(お待たせしてごめんなさい)。そしてコーヒーを飲みながら30分ほど話をした。


お互いの近況や塾の話、そして昔話(ミスター青柳はぼくの高校時代の恩師である)をした。先生の昔話の中にいるぼくは、いつも美化されているので大変にありがたい(他の誰かと間違っている可能性も否定できないが、そこはそっとしておく)。


Frascoを初めて早6年目。本当に人に恵まれている。ここ最近はそれが特に強く感じられるのだ。どれだけ強くとも、どれほど逞しくとも、どれほど賢くとも、人に愛されない人生は空虚だと思う。


なんの宗教観も持ち合わせていないけれども「隣人を愛せよ」とは能く言ったものだ。


愛が地球を救うかは分からないけれども、きっとこの世界に愛は必要だ。そして、ぼくらも受け取ったものをしっかりと還元していかなければ。


ではまた。




Frascoの子どもたちの可能性について日々考える。多くの子どもたちは歳を重ねるにつれて可能性の幅をどんどん狭めていく。現実をみたから?努力が足りないから?誰かに無理だと言われたから?


結局のところ日本社会の、、、教育の仕組みが協調を重んじて、出る杭を打ち続けてきた結果が今の現状なのだと思う。こんな世界で断固たる決意を持ち、それを信じて疑わない子がいたら、きっとそれだけで特別だ。


そんな子がFrascoにはたくさんいた(いる)気がする。それはぼくらも誇りです。


ではまた。


今日は中3生たちが最後の模試を。

なんだか、、、とっても良さそう!みんないい顔をしていた。


どーも、Frascoそうまです。


今年度の高校入試もいよいよ最終盤だ。入試において、そこまでの過程は大切だと思うが、やはり結果も同じくらい大切だ。入試の合否で人生が決まるわけではないが、1つの成功体験が積み上がる。そして、ぼくらの存在意義の半分、もしくはそれ以上がそこにあるのだと思っている。


入試の大きなポイントは、1日では何もなし得ることができないところだと思う。進んだか進んでないか分からないくらいの前進を日々していく。そして、ある日ふと後ろを振り返るとそこには驚くほど長い道ができているのだ。


そういうものだとぼくは思うのです。

なにはともあれ残りわずか。日々前進していこう。


ではまた。


今日は「やさしさ」について考える機会があった。さまざまな「やさしさ」で世界は溢れていると思うのだけれども、今日、純粋なまでのやさしさにふれた。


どーも、Frascoそうまです。


自分が満たされているとき、人はやさしくなれると思う。でも、自分が苦しいとき、心底辛いとき、やさしくいられるだろうか、、、ぼくは、自分自身が切望の淵にいるとき、常にやさしさを持っていられるか?と聞かれたら、残念だけどそうでいられる自信はない。


けれども、そんな状況下にあっても「やさしさ」を持ち続けられる人は確かにいた。そういう人にぼくもなりたいと思った。そんな「やさしさ」をぼくは美しいとさえ思った。


さて、明日は中3生最後の模試。

力を発揮できますように。


ではまた。


今しか見られない景色を大切にしたいと思う。人生は上がったり下がったり曲がったり飛び越えたりの連続だ。良いことも良くないこともきっと同じくらやってくる。例えば今、苦しい状況にあったとして、きっとその苦しさはどうしたって変わらない。けれども、そのときにしか見ることができない景色があって、聞こえてくる音がある。その状況でなければ気づけなかったこと、考えられなかったことがあるのだと思う。


本当の瞬間はいつだって恐くて逃げ出したくなるけれども、乗り越えた先で今よりもずっと強くなった自分に出会えるのだと思う。


どんなことにも意味があるって言うけれども、意味をつくるのは自分自身だ。自分自身がどう捉えるか、受け止めるかでどんなことも人生の糧になる。ぼくはそう思うのです。


明日は共通テスト。良い挑戦ができますように。


Frascoそうまでした。

ではまた。



この冬はたくさん本を読んだ。昔は自己啓発本をよく読んでいたのだけれども、最近はその類の本は1冊も読まずに小説ばかり読んでいる。


どーも、Frascoそうまです。


国語という教科があるけれども、あれは読書嫌いを増やしている気がする。これは完全にぼくの私的な意見だけれども、きっと他にもそう思っている人はいるはずだ(たぶん)。教科としての国語は答えを求めらる訳だから、物語であっても答えを矯正されてしまう。それっていうのは、、、どうなのか?と思ってしまう。


かく言うぼくも問題を解く際は「矯正された答え」を導き出す訳だが、その度にもう少し自由でもいいのに、、、なんて思ってしまう。


すべての物語に解説文(解釈文)なんかがついているわけではない。だから、もっと自由に気持ちや状況なんかを想像してみてもいいのではないだろうか?だってその方がおもしろい。答えがあるものは楽だけど、おもしろさは半減してしまう気がする。物語なんか特にだ。


それっていうのは人生に答えがあって、そこに向かって歩かされているような気になってしまう、、、。少し話が飛躍し過ぎたけれども、勉強はその楽しさを知るところから始めるべきだとぼくは思う。


雪の壁と対峙しながら、そんなことを考えていた。

ではまた。


昨日は海雲塾の伊藤先生がフラッと Frascoに立ち寄ってくれた。地元、潟上市の東湖八坂神社の御守りをたくさん持ってきてくださった。ありがたい。


どーも、Frascoそうまです。


海雲塾の伊藤先生は、ぼくの高校時代の社会科の先生で、高2高3と歴史の授業でお世話になった。当時は20代後半で、ぼくらからすると「話のわかるお兄ちゃん」だった。あれから20年経ったのだけれども、今でも可愛がってもらっている(どっちかというと妻が、な気がするけれども笑)。


他にも、高校入試が終わった3月には角館で塾?をやっている青柳先生と毎年のように意見交換会をしている(ご招待いただいている)。青柳先生もまた、ぼくの高校時代の英語の先生で学年主任でもあった。高校時代、青柳先生には毎日追いかけられ、そして捕まっていた笑。なぜ現役高校球児だったぼくが青柳先生から逃げきれなかったのか?は、数年前に判明した。先生はどうやらマラソンをしているらしい。そして今でも時間があるとき田沢湖を結構なスピードで1周しているのだ。そして最近は、なぜかぼくより妻が可愛がられている気がする。


いずれにしても20年もの時間が過ぎても、昔の恩師たちに可愛がってもらえるのはありがたい。ありがたいし、ぼくが先生たちの記憶に(僅かながらでも)残っていたことにホッとする。


昔のことを思い出しながらこのブログを書いているのだけれども、20年前の恥ずかしいぼくのエピソードが昨日のことのように思い出されるのはなぜだろう。ブログには書けないことばかり、、、。。


ではまた。




秋田市の高校や一部の小中学校を除き、今日が冬休み最終日。毎年のように学校が再開されると天気が大荒れになる。そして共通テストの日も荒れた天気になりやすい。なぜだろう。


どーも、Frascoそうまです。


明日からまた日常が始まる。朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、歯磨きして学校へ行く。当たり前の日常は当たり前ではないかもしれない。3年生はあと数ヶ月すれば環境が変わる。この先どうなりたいか?ってことも大切だと思うけれども、いまをどう過ごすか?ってことが何より大切だと思う。


環境が変わっても、自分っていう人間の本質は思ったほど変わらない。いまの過ごし方が、自分という人間をつくっていく。後悔のない毎日を過ごしていこうなんてことを軽はずみには言えないけれど、とりあえず明日1日を充実させていこう。


そんな1日を積み重ねていけたらきっといい1ヶ月、1年になっていくと思う。


学校に行くとか行かないとか、そんなことはどっちだっていいと思う。自分自身が納得のできる1日を過ごすことができれば。


ではまた。