泣いてしまうよ。

ときどき塾の先生が、ブログか何かで、自分のところに通っている生徒のことを悪く書いている記事を目にする。

その度にぼくは、すごく残念な気持ちになる。
ぼくは、それらの文章の真意を知る術はないのだが、無条件に悲しくなる。

例えば、ぼくは、Frascoに通っている生徒のみんなや、その保護者のみなさんが大好きで、それは妻も同じだ。そんな大好きな人たちのことを紹介するとしたら、どう間違っても悪く書くことなどできない。

特に子どもたちは、みんながみんな個性的で、異なった素晴らしい考え方を持っていて、とてもユニークだ。そして、ぼくらはその子たちの個性を大切に思っている。

例えば、授業に遅刻してしまう子がいる。例えば、忘れ物をしてしまう子がいる。ぼくは、それすらも個性だと思っている。

では果たして、時間に遅れてしまったり、忘れ物をしてしまったりする子のテストの点数が悪いか⁇というとそんなこともない。学年250人規模の学校でトップクラスになっている子もいる。

ぼくが考えるに、集中力がありすぎるが故の特性だと思う。

なにか1つのことに集中すると次の1つを忘れてしまう。これは紛れもなく天才の資質で、とてつもない才能だ。それほどの集中力を持った人間がどれほどいるだろうか。しかしながら、協調性や規則という言葉の前に矯正させられてしまうことが少なくない。多くの場合、規則を守ることができない子は叱られる。そして、無理矢理に、ほかの事柄も関連づけられて叱られる。「だからお前は、、、」と。しかしながら、大人は叱るときに「なぜ⁉︎」を考える必要がある。なぜダメなのか?その子の行動の意図は?その規則は本当に必要か?

「そういう決まりだから!」「今まで言われた通りにやった人はみんなうまくいっている!」

こんなのは何の理由にもなっていない。人は一人ひとり違うのだ。

ぼくは、よく間違える。これまでもたくさん間違えてきたし、これからもきっとたくさん間違えるだろう。しかし、時代が変われば正しさの定義だって変わることがある。昨日までの常識は明日からの常識ではない。そもそも常識の定義がわからない、、、。

だから、昨日までの間違いだって明日からの正解になることがあるだろう。
そんな普遍的で、曖昧な世の中だからこそ、その瞬間瞬間の感情に対して素直に生きていきたい。

なにが言いたかって、、、Frascoに子どもを預けてくれているお母さんから今日いただいた一言が、心底嬉しかった。

ぼくらは、ぼくらのやり方でいく!



Frasco

Frascoは 秋田県大仙市大曲に拠点をおく学習塾です

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