またまた雪が降ってきました。半日もあれば世界の姿を様変わりさせられる天気というものを前にしては人類の英知などというものはあまりにも儚いなー。なんてことを思いながら外の雪景色を「綺麗だなー」と呟きながらみているのは、わたくし相馬です。ちなみに、秋田県の県南地域では、みなさんぼくの苗字をみて、「ソウマ」と読んでくださいますが、他の地域へ行った際、「アイバ」だの「ソウバ」だの、挙げ句の果てに「アイウマ」などと呼ばれ、辱めを受けました。どーも、相馬(ソウマ)です。
受験生のみなさんにとっては、精神的にピリピリしだす時期に入ってきたようです。センター試験まで残り1ヶ月と少し、公立高校入試までも残り3ヶ月ほどとなりました。そこで、今日は少し勉強の話を。
ぼくはこれまで、多くの子どもたちの学習サポートを行ってきました。その中で、子どもたちが同じ説明を受けて、同じ問題を練習し、また同じように解いた問題のフォローを受けているにも関わらず、その理解度や点数のでる問題(テスト等)をチェックした際、ほとんどの場合、差が生まれます。ぼくは、この差について結構な時間を費やし原因を考え、また子どもたちを観察してきました。その結果、理解度や正答率が高い子と、そうではなかった子の記憶の仕方に差異があることに気がつきました。
例えば歴史上の人物を記憶する際に、正答率の高い子は覚えるべき「人物」とともに、その人物にまつわる情報がインプットされています。一見、覚える量が増えて時間がかかり非効率に感じられるかもしれませんが、人の記憶とは本当に儚いものです(ぼくは、自分でしまったはずの物をよくなくし、おまけにぼくの記憶していた場所とは全然違うところで発見される)。覚えるべきものに付随した記憶は、覚えるべきものへと続く道標になっていくのです。具体的に例を挙げると、ある目的地があり、そこへの道順を覚える際、通り道にある建物や印象的な場所を一緒に記憶しているはずです。万が一、道順を忘れた際もそれらが目的地を思い出すためのヒントとなっていくわけです。
一方で、正答率が思わしくなかった子の多くが、その事柄を覚えることに意識を向けていました。例えば、英単語や漢字を覚える際に、ノートやプリントに隙間なく英単語や漢字を書き埋めていたのです。確かに、量をこなすことで記憶に残る機会は増えると思います。しかし、ここで重要なことは人間の記憶が忘れやすく儚いものであるということです。その忘れかけた記憶を引き戻すためには、ヒントが必要です。また、インプットする際に英単語や漢字だけを書き続けると、いつの間にか頭を使わない作業になっているのです。
こんなに量をやっているのに、なぜできないのか⁉︎
そういうジレンマへと陥ってしまうのです。
と、まあぼくの個人的な見解ですので、悪しからず。
では、また!
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