今日も午後から女子たちがFrascoに来てくれた。
学校の課題をやったり、楽しそうにお喋りしたり、本を読んだり、で、また勉強したり、、、。
ぼくらからは特に何も指示をしていません。この子たちは自分に必要なものや、やるべきこと、やりたいことを自分の意思で行っているので、そんな姿を見てすごいなーと今日も思っているわけです。
人に与えられ、強制的に何かをやらされることは、思考の単純化を助長するだけでなく、面白味がないなーと思ってしまうわけです。
例えば、誰かにゴールまでの最短経路教えられたとして、その経路を行くことを強制されたとして、その冒険は面白いのだろうか?と思ってしまいます。そもそもゴールってなんだ?
ぼくらの人生はゴールを目指して最短経路を進むことではなく、次から次へとやってくる冒険を楽しむことではないでしょうか。そして、その冒険がもし誰かに強制された画一的な経路であったならぼくは一気にシラケてしまう。
ヒトは一人ひとり個性に溢れているわけだから、一人ひとりから溢れだす才能や可能性の種に目を向けて、それらを引き出すお手伝いをすることこそ、大人に求められていることなのかなーなんて漠然と考えています。
先日、Frascoを囲む会を開催していただいた際に、妻が夜鍋して描いたキャラクターの裏にふたりで子どもたちへのメッセージを書きました。
そのメッセージの中で、ぼくは「時間」について書きました。
ぼくは、この世界で最も尊いものは「時間」だと思っています。不可逆的で、誰にとっても同じスピードで流れる時間。すべてのヒトにとって平等のようで、実は平等ではない、この「時間」ってやつをどう使うか?
そんな想いをメッセージに込めました。
思った以上に時間の流れは、はやいです。
そして、限りあるものだからこそ尊いのです。と、自分自身に言いきかせる今日。
では、また。
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