高校受験を控える子どもたちをみていて、昔の自分をふと思い出した。
ぼくは子どもの頃、なかなか記憶力が良く、小学校で毎月行われていた詩の暗唱レース(毎月暗記する詩が小学校の先生たちから決められ、一定の期間内に担当の先生のところへ行き、暗唱のテストをしてもらい、合格をもらった順に暗唱終了を証明する表に名前を書くことができる)で、その表は合格した順に、上から名前を書くようになっていた。ぼくは1番上に自分の名前を書きたくて、放課後のチャイムとともに職員室まで全力疾走し、何度もその表の1番上に名前を書くことができた。
また、学校のテストでも、概ね95点か100点だった。
ところが、小学5年生頃から状況が変わった。学校の先生がつくるテストはこれまで通りに点数が取れるのに、カラーテスト(業者が作成したテスト)では、思うように点数が取れなくなってきたのだ。しだいにぼくは、親や家族に点数を隠すようになった。理由は点数が悪いと怒られたからだ。
もちろん、自分の親や家族を責めるわけではないが、ぼくの家族には勉強に対する知識を持った人物がほとんどいなかった。兄は勉強ができる方だったが、ぼくの点数をみて驚くか、笑う程度だった。
こんな残酷な記憶も、紆余曲折を経て、いま子どもたちに勉強を教える立場となったぼくの大きな強みとなっている。なぜなら、怒られて勉強しても点数には反映されないことを身をもって知っているからだ。いくら怒られても問題の解き方は思いつかないのだ。怒られると、子どもながらに自分は勉強ができないのだと自覚する。さらに、怒られたくないのでテスト等の結果を言わなくなる。それから考えるのは、点数をとることではなく、どう誤魔化すか。どう怒られずにやり過ごすかという問題へと思考がすり変わっていく。
もう、こうなったら負の連鎖だ。成績の下降に歯止めはかからない。
そんなこんなで、中学生になったぼくは、全然勉強についていけない子になっていた。いまでも記憶にあるのが、2a+3bを5abと書いたとき、ぼくの左の頬めがけて母親の渾身の一振りが炸裂した。たぶん、母はぼくの学力が命に関わるレベルだと思い、目を醒まさせようとしたのだと思う。
その後、運良く目標ができたぼくは、少しずつではあるが何とか勉強というものに必死で食らいつきながら、今日までやってこれています。
ですので、こういった背景がぼくの指導には強く影響しています。いま改めて振り返ると、小学校時代の暗記に魅了され暗記一辺倒になっていた勉強の仕方とテストの点数による怒られた記憶が、間違いなくぼくの学力に大きな影響を及ぼしていました。
だから、ぼくは「頭を使うこと」と「楽しく学ぶこと」にこだわって指導しています。
とはいえ、家族だからこそ、強く言ってしまうことや、イライラしてしまうことがあると思います。
だって人間だもの。
では、また。
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