ぼくは子どもの頃、いつだって逆転満塁サヨナラホームランを狙っていた。
ホームランじゃなくてもよかった。
ブザービーターでの逆転のスリーポイントシュートでも、アディショナルタイムでの逆転ゴールでも、ラストワンプレーでの逆転のトライでも、なんでもよかった。
なんでもよかったのだけれども、いつも劇的な結果を求めていた。
しかしながら、現実世界ではそんなことは起こらなかった。
そもそも、そんなチャンスが舞い込んでくることすらほとんどなかったように思われる。
まだまだ若造?のぼくだけれども、いよいよ人生の折り返しが近づいてきて思う。
チャンスが舞い込んでくる人間は、
チャンスをモノにできる人間は、
舞い込んでくるべくして、モノにするべくしてきているのだと。
どんな世界線でも、ラッキーなんてものはほとんどなくて、「自分はラッキーだ」と思う人間は、そもそもその世界線で長いこと戦い続けているのだと思う。
そしてその中で、積み上げてきたものが、あるタイミングで結果としてでたのだと思う。
何かを成し得るってことは、それに見合うだけの時間をかけて、努力をしてきたはずだ。
何を成し得るにしたって、一朝一夕にはいかない。
誰でもできることでも、誰にでもできないほど積み上げたら、それは特別なことになる。
人生ってのは、ある程度時間をかけなければ成し得ないことを見つけ、自分なりにその事柄と向き合い、ときに歓喜し、ときに絶望しながら、それでも取り組むことを止めない、その「何か」に出会うことで豊かになっていくのではないだろうか。
勉強なんて、できても、できなくてもどっちでもいいと思う。
それでも、苦手だと感じることに対して何かしらの意味を持って、自分なりの楽しさを見つけて取り組むことができたら、それはきっと人生の大きな糧になるはず。
そんな積み重ねの先に逆転満塁サヨナラホームランはあったのだと思った秋の夜。
どーも、Frascoそうまでした。
では、また。
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