大曲に暮らす子と、能代に暮らす子が仲良くなり空間という概念を飛び越えて一緒に勉強をする。
これだけでFrascoが存在する意味になると思った。
どーも、Frascoそうまです。
時代とともに様々な変化が起こり、そして消えて、再び新しいものが生まれていく。
ぼくらが提供しているオンライン学習もいずれなくなってしまうかもしれない。
それでも、ヒトとヒトとの繋がりは、しばらくはなくならないと思う。
コロナ禍の生活がそれを証明したように、ヒトはヒトと繋がっていたいのだ。
そんなこんなで昨日の昼頃、ぼくのスマホに着信があった。相手はぼくの父だった。
たわいない話だったが、ぼくと父の会話を聞いて、爆笑する妻。
どうやら、久しぶりに聞いた、ぼくのネイティブな秋田弁がどツボにハマったようだ。
ヒトはみな繋がっていたいのだ。
では、また。
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