教育に関わる人間として、子どもたちのお尻を叩いて強制的に前に進めていくことも、ときには必要なのかもしれない。
それでも、ぼくらは子どもたちの好奇心を擽り、それを原動力とすることに挑戦していきたい。
どーも、Frascoそうまです。
勉強に限らず、強制的にやらせることになれてしまうのはコワイことだと思っています。
いざ強制力が働かなくなったとき、動けなくなってしまう可能性が高いからです。
例えば「受験」という観点からみたらそれでも一定の成果を掴めるのかもしれません。
しかしなから、その先を考えたとき、自分で考え・行動することを求められたとき、強制力が働かなければ動けない、、、そんな状況ではあってほしくないとぼくは思っています。
なんてことを、おでんを仕込みながら夜な夜な考える秋の夜長。
では、また。
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